CULTURE
2020.06.21

J.Y. Parkはアイドルの生みの親!経歴や学歴、結婚情報まとめ

J.Y. Parkはアイドルの生みの親!経歴や学歴、結婚情報まとめ J.Y. Parkはアイドルの生みの親!経歴や学歴、結婚情報まとめ

世界中で活躍するアイドルを生み出してきたJ.Y. Parkさんをご存知ですか?歌手やプロデューサー、実業家と複数の顔を持つJ.Y. Parkさんは、一体どんな人物なのでしょうか。今回はJ.Y. Parkさんのプロフィールなどをご紹介します。

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J.Y. Parkのプロフィール

 

■基本プロフィール

名前:J.Y. Park/パク・ジニョン(박진영)
あだ名:トッゴ、餅ゴリ(떡고)
生年月日:1971年12月13日(戸籍上:1972年1月13日)
身長:182cm
血液型:AB型
学歴:延世大学校大学院政治外交学科修士課程中退
事務所:JYP Entertainment

J.Y. Parkの経歴は?

 

子供の頃、いたずらっ子だったJ.Y. Parkさん。好奇心旺盛で勉強ができる子供だったようです。
同じリズムがリピートされるのが好きで、いつどこでも音楽が流れると踊り出してしまうこともしばしば。J.Y. Parkさんの姉と一緒にピアノを習い始めるとみるみる上達するなど、小さい頃から音楽の才能に恵まれていたことがわかります。

J.Y. Parkさんが7歳の時、父親の仕事の都合でアメリカに2年半渡米。
世界的トップスターであるマイケル・ジャクソンさんの存在を知り、黒人音楽に感動して音楽の世界にどっぷり浸かっていきます。同時にダンスにもハマり、ダンスバトルで1位を獲得したこともあったようです。

J.Y. Parkさんはアメリカでも優秀な子供だったようで、小学2年生の時に先生から「今の学年でもう教えることはないから、飛び級したらどうか」と提案されたエピソードもあるほど頭が良かったみたいです。

アメリカから韓国に戻っても、アメリカの音楽やTV、ラジオに触れて英語力を磨いていました。

J.Y. Parkさんは高校生になると、生徒会長になりリーダーシップを発揮。また、ディスコに興味を持った際、両親に反対されないよう、論理的に自分がディスコ通いする理由を説明したら認めてくれたこともあるようです。J.Y. Parkさんの両親は、子供のやりたいことを反対せず、話をきちんと聞いて見守ってくれる素敵な方だったみたいですね。

そしてJ.Y. Parkさんは韓国の名門大学・延世大学校に進学。当初は教えることが好きだったことから先生を目指していました。

しかし、過去に自分に影響を与えた音楽の経験から、大学時代に夢が変わり、歌手を目指します。

J.Y. Parkが歌手デビューするまでの道のり

 

J.Y. Parkさんは1992年、「パク・ジニョンと新世代」というグループで歌手デビューを果たします。しかし、あまりうまくいかず、再デビューをかけてたくさんのオーディションを受けるも不合格ばかり。

そんなある日、ディスコで踊っていたJ.Y. Parkさんに、当時人気歌手だったキム・ゴンモ(김건모)さんのマネージャーにスカウトされ、バックダンサーを務めることになりました。

その際、作曲家のキム・ヒョンソク(김형석)さんに出会います。キム・ヒョンソクさんが作曲する過程を目にし、弟子入りを願ったJ.Y. Parkさん。彼の家に住み込んで音楽理論を学び、約2年半で100冊以上もノートを使い果たします。

当時、キム・ヒョンソクさんは周りに敵なしの作曲家であり、無償でJ.Y. Parkさんに自分のノウハウを教えていたため、周りから「J.Y. Parkにこれ以上教えない方がいいのでは?」と言ったことがあるようです。

J.Y. Parkさんの成長の早さからキム・ヒョンソクさんを脅かす存在になると心配しての助言だったようですが、キム・ヒョンソクさんは「全部ノウハウを教えて、自分はもっと頑張ればいいだけ」と話したようです。
そのやりとりを間接的に知ったJ.Y. Parkさんはとても感動したというエピソードがあります。

そして、J.Y. Parkさんは自身が作った曲「Don’t leave me」を歌って、数々の芸能事務所のオーディションに参加するも不合格ばかりが続きます。

大手芸能事務所であるSM Entertainmentのオーディションに参加した際、「曲とダンス、歌はいいけど顔がダメ」という理由でまたもや不合格に。しかし、会場を去るJ.Y. Parkさんに当時の社長が「この歌だけ売ってくれない?」と声をかけ、J.Y. Parkさんが断ったというエピソードがあります。

J.Y. Parkさんは韓国中の芸能事務所に訪れるも、最後の頼みの綱であったSM Entertainmentも落ちて行くあてがなくなってしまいます。

ですが、J.Y. ParkさんがSM Entertainmentのオーディションで歌った曲が関係者の口コミで広がり、創業したばかりの会社から「歌手として育てたい」と連絡が入ります。

そして、1994年にJ.Y. ParkさんはソロのR&B歌手として再デビューを果たすことになりました。

J.Y. Parkの歌手時代は?

 

J.Y. Parkさんは1994年にバラード曲だった「Don’t leave me」をダンス曲に編曲して、ソロのR&B歌手として再デビューします。

この曲は、当時新人俳優だったチョン・ウソン(정우성)さんが出演するガムのCMのBGMに起用されます。CMのテロップにはJ.Y. Parkさんの名前も載ったため、CMを見た視聴者はチョン・ウソンさんのことをJ.Y. Parkさんと勘違いしてしまい「J.Y. Parkがイケメンすぎる」と話題になります。

しかし、J.Y. Parkさんが歌番組で同曲を披露することになり、世間の人々は勘違いしていたことを思い知るようです。

J.Y. Parkさんは、当時には珍しいセクシャルな衣装やセクシーな歌詞、ダンスで一躍注目を集めます。
その後もヒット曲を連発。ソロ歌手としての地位を確立していきます。

一方で、J.Y. Parkさんのオープンな発言や自由な価値観は、異端のような存在だったようです。悪い評判や憶測が広まることも多く、辛い出来事も何度かあったと言われています。

ある時、出演した番組で「彼女はいますか?」と聞かれて正直に「いる」と答えたJ.Y. Parkさん。プライベートの正直な発言にファンは受け止めきれなかったようで人気がガタ落ちしてしまいます。

その際、「20年後、30年後、いつか実力で見返してやる」という気持ちで音楽活動をし続けていたようです。

そして現在、J.Y. Parkさんは今なおトップで活躍し続ける人気歌手へと成長。2001年に音楽活動を一時休止したこともありますが、2007年に歌手活動を再開させています。

また、自身の音楽活動だけでなく、プロデュース業も成功させ、韓国の音楽業界で欠かせない人物になりました。

J.Y. Parkは敏腕プロデューサーで事務所の社長?

 

J.Y. Parkさんは、1997年に今まで所属していた事務所から独立し、「テホン企画」を設立します。

自身の歌手活動もしつつ、プロデュース業も専念するようになり、1999年に男性5人組のアイドルグループ・god(ジーオーディー/지오디)をデビューさせます。R&Bやヒップホップ調の曲、家族愛など大衆受けする内容の歌詞で歌って踊り、幅広い年齢層から支持される国民的アイドルグループに成長させました。

そして2001年、自分の名前「J.Y. Park」のイニシャルを取り、社名を「JYP Entertainment」に変更します。

2000年代もピ(Rain/비)さんやWonder Girls(ワンダーガールズ/원더걸스)など人気歌手を続々世に輩出し、J.Y. Parkさんが立ち上げた事務所「JYP Entertainment」は、韓国の3大芸能事務所の1つになりました。

J.Y. Parkさん自身もプロデューサーとしての手腕が評価され、街で流れる曲のほとんどがJ.Y. Parkさんが手がけたものということも多かったようです。

また、2003年にはアメリカにも進出。ロサンゼルスに拠点をおき、様々なプロデュースを手がけます。世界的に有名なウィル・スミスさんの楽曲「I Wish I Made That」の作曲やキャシーさん、メイスさんに曲を提供したりしました。

一方で日本でもAIさんやSMAPとコラボレーションしたこともあります。

ですが、2008年のリーマンショックの影響で、アメリカから撤退することになりました。

これまでにJ.Y. Parkさんが発表した曲は500曲以上もあり、2012年〜2014年には音楽著作権収入で1位になります。

ちなみに、それまでの音楽著作権収入で1位を取り続けたのは、J.Y. Parkさんに音楽の理論を教えてくれたキム・ヒョンソクさんでした。
キム・ヒョンソクさんは「いつか自分が1位でなくなる日がくると思ったが、それがお前で嬉しい」と言って喜んでくれたみたいですよ。

J.Y. Parkがプロデュースしたアイドルは?

 

J.Y. Parkさんは、1997年に芸能事務所「テホン企画(現:JYP Entertainment)」を設立してから、これまでに数多くの歌手やアイドルグループをプロデュースしてきました。

主にどんな大物歌手を輩出してきたのでしょうか。

J.Y. Parkがプロデュースしたアイドル【1】2PM

 

■プロフィール
・グループ名:2PM(トゥーピーエム)
・デビュー年:2008年

■メンバー
・Jun. K:メインボーカル
・ニックン:サブボーカル、サブラッパー
・テギョン:メインラッパー、サブボーカル
・ウヨン:サブボーカル、メインダンサー
・ジュノ:リードボーカル、リードダンサー
・チャンソン:サブボーカル、リードラッパー
・ジェボム:2009年9月8日脱退

2PMは、2008年に7人組のアイドルグループとしてデビューします。グループ名の2PMには「1日の中で最も活動的な午後2時に聞きたい音楽」というコンセプトが込められています。

元々2PMのニックン以外のメンバーは皆、JYP Entertainmentのオーディションに受かった練習生でした。そして、新人育成テレビ番組『熱血男児』にて、 JYP練習生による新グループ結成までの過酷なトレーニングが放送され、10名の合格者が決まります。

そのうち歌唱力が中心のアイドルグループ・2AM(ツーエーエム)とパフォーマンス中心の2PMに分かれて活動することになりました。

番組放送後、2PMは2008年から本格始動。かつて一世を風靡したアイドルグループ・god以来のJ.Y. Parkさんがプロデュースしたボーイズグループだったため、デビュー当時から注目を集めていました。

J.Y. Parkさんは、2PMのことを「彼らは私の自尊心」と言っています。

2PMは従来のアイドル路線とは異なり、男らしい野生的なイメージを売りにしていたため、「野獣アイドル、猛獣アイドル」と呼ばれて人気を集めていきます。

2010年11月には日本デビューも果たし、アメリカ進出も行います。

J.Y. Parkがプロデュースしたアイドル【2】GOT7

 

■プロフィール
グループ名:GOT7(ガットセブン/갓세븐)
デビュー年:2014年

■メンバー
・JB(ジェイビー):リーダー、メインボーカル、リードダンサー
・Mark(マーク):リードラッパー
・Jackson(ジャクソン):メインラッパー
・Jinyoung(ジニョン):サブボーカル
・Youngjae(ヨンジェ):メインボーカル
・BamBam(ベンベン):サブラッパー
・Yugyeom(ユギョム):サブボーカル、メインダンサー

GOT7は、2014年に7人組のアイドルグループとしてデビューします。GOT7は韓国・アメリカ合衆国・香港・タイと多国籍なメンバーが揃っているのも特徴的です。

入所時期がバラバラだったメンバーが2013年9月頃にGOT7に加入し、2014年1月にお披露目されて活動を開始します。JYP Entertainmentにとって、2PM以来の2番目となる男性アイドルグループの誕生となりました。

GOT7は、ブレイクダンスなどを取り入れたヒップホップグループで、度々アクロバティックなダンスが持ち味の2PMと比較されることが多かったようです。

2014年1月20日に発売したミニアルバム「Got it?」は、ビルボードのワールド・アルバム・チャートで首位を獲得。その後もJ.Y. Parkさんが制作とプロデュースを手掛けた曲などをリリースし、知名度を上げていきます。

2014年10月には日本デビューシングル「AROUND THE WORLD」も発売。様々な出身地のメンバーが揃っているGOT7は、韓国以外の国々でもヒット曲を連発していきます。

J.Y. Parkがプロデュースしたアイドル【3】TWICE

 

■プロフィール
・グループ名:TWICE(トゥワイス/트와이스)
・デビュー年:2015年

■メンバー
・ジヒョ(지효):リーダー、メインボーカル
・ナヨン(나연):リードボーカル、リードダンサー
・ジョンヨン(정연):リードボーカル
・モモ(모모):メインダンサー、サブボーカル
・サナ(사나):サブボーカル
・ミナ(미나):メインダンサー、サブボーカル
・ダヒョン(다현):リードラッパー、サブボーカル
・チェヨン(채영):メインラッパー、サブボーカル
・ツウィ(쯔위):リードダンサー、サブボーカル

TWICEは、2015年に9人組のアイドルグループとしてデビューします。グループ名のTWICEには、英語で「2度、2回」という意味があり「いい音楽で1度、素晴らしいパフォーマンスで2度魅了させる」という想いが込められています。

2015年5月、JYP Entertainmentがオーディション番組『SIXTEEN』を通して、新ガールズグループ・TWICEを選考することになります。

JYPの練習生も16人参加し、約2ヶ月に渡ったオーディションの結果、現メンバーの9名が決定します。

そして2015年10月に1stミニアルバム「THE STORY BEGINS」でデビューを果たすと、わずか44日後に2015 Mnet Asian Music Awardsで女性新人賞を獲得。

2016年以降も数々の部門で1位を樹立したり、新人賞などを獲得して韓国内でトップアイドルの座を射止めます。

2017年6月には日本デビューも果たし、2017年から3年連続で年末に開催されるNHK紅白歌合戦に出場。また、2019年9月に発売したミニアルバムの中の1曲「Feel Special」がビルボードワールドデジタルソングセールスで「Likey」以来自身2度目となる1位を獲得します。

さらに、日本で売り上げたアルバム枚数が343万枚を超え、日本で最も売れているK-POPガールズグループになりました。

J.Y. Parkさんは世界でも名が通るアイドルグループ・TWICEの生みの親として、国外でも有名な名プロデューサーになります。

J.Y. Parkがプロデュースしたアイドル【4】その他

 

■god(ジーオーディー/지오디)
・デビュー年:1999年
・5人組のボーイズアイドルグループ

■Wonder Girls(ワンダーガールズ/원더걸스)
・デビュー年:2007年
・4人組のガールズアイドルグループ※3人脱退

■2AM(ツーエーエム)
・デビュー年:2008年
・4人組のボーイズアイドルグループ

■miss A(ミスエイ/미쓰에이)
・デビュー年:2010年
・4人組のガールズアイドルグループ※解散

■DAY6(デイシックス/데이식스)
・デビュー年:2015年
・5人組のバンドグループ

■Stray Kids(ストレイキッズ/스트레이 키즈)
・デビュー年:2018年
・8人組のボーイズアイドルグループ※1人脱退

■ITZY(イッジ/있지)
・デビュー年:2019年
・5人組のガールズアイドルグループ

など、他にもJ.Y. Parkさんがたくさんの歌手やアイドルグループをプロデュースしています。気になるグループがあれば、楽曲をチェックしてみてください。

J.Y. Parkは高学歴?

 

J.Y. Parkさんは高学歴芸能人でもあります。

延世大学校地質学科を卒業しており、延世大学校大学院政治外交学科修士課程にも進んでいますが中退しています。

実は、延世大学校は韓国の私立大学における名門中の名門校。有名な高麗大学とツートップに並ぶほど偏差値が高い大学で知られています。

日本の早稲田大学と慶應義塾大学みたいなポジションとイメージすればわかりやすいかもしれません。

韓国は受験戦争で厳しい国でもあるので、その中でも名門校に進学したJ.Y. Parkさんはかなり頭が良かったことがわかります。

J.Y. Parkは日本語が上手?

 

J.Y. Parkさんは、日本のTV番組でインタビューを受ける際、日本語を話すことが多いです。
意思疎通も問題なく、日本語が上手であることで知られています。

しかし、日本に住んでいたこともないJ.Y. Parkさんはいつ日本語を勉強したのか気になりますよね。

そもそも日本語を学ぶきっかけとなったのが、2019年7月頃から始動した「Nizi Project」です。
Nizi Projectは、JYP Entertainmentとソニーミュージックによる共同ガールズプロジェクトで、世界で活躍するアイドルグループを育成する目的で始まりました。

J.Y. Parkさんは日本のメディアのインタビューで「日本の方と音楽について深く話し合うために、初めて日本語を学んだ」と話しています。

J.Y. Parkさんは1995年から毎日続けている日課があるのですが、ソニーミュージックとの共同プロジェクトが始まることを機に、毎朝8時に起床していたのを7時半に変え、「日本語の暗記をする」という日課を追加したようです。

40代半ばになって新たに日本語を学び始めたJ.Y. Parkさんの努力が実り、日本語が上手になったことがわかりますね。

J.Y. Parkは結婚してる?

 

J.Y. Parkさんの仕事だけでなく、プライベートも気になりますよね。
果たして、結婚はしているのでしょうか。

J.Y. Parkさんは、1999年に同い年の女性であるソ・ユンジョンさんと結婚します。
2人の出会いは大学1年生の時。友達の紹介で知り合って交際に発展したと言われています。

ソ・ユンジョンさんはソウル女子大学衣類学科卒で、フラワーショップを運営している女性です。J.Y. Parkさんが兵役を終えてから見事ゴールインしたそうです。

J.Y. Parkさんにとって初恋の女性だったみたいですが、2009年に離婚。

事務所の公式HPにて「20歳の時に出会った初恋の人と16年という時間を共に過ごし、人生でもっとも大切で美しい時間を共にして熱烈に愛した。16年という時間の中で、私達は少しずつ別の方向に向いて、いつのまにか類似点より他の点が多くなったと分かった。数年間悩んだ末、最終的に別れることにした」と明かしています。

J.Y. Parkさんは2000年代から仕事が忙しくなり、アメリカ進出も果たしていたのでほとんど別居状態だったようです。

ソ・ユンジョンさんとの間に子供はおらず、慰謝料は30億オンと月々の生活費2000万ウォン(日本円にして約3億と200万円)と言われています。

そして2013年、J.Y. Parkさんが41歳の時、9歳年下の一般人女性と再婚します。
結婚発表前に出演した番組で「昨年一目惚れした。彼女は昔から私が理想のタイプだと言っていた。お互いに一目惚れした経験は初だった」と語っています。

再婚するにあたり、平凡に暮らしたい彼女とたくさん話し合ったようです。最終的に彼女がプロポーズを受け入れてくれ、再婚することになります。

J.Y. Parkさんは一目惚れした彼女を想って、「彼女にはいつも通りの日常を送ってもらいたいと思っているので、記者の方に配慮を願います」と話しており、結婚式も家族だけの身内で取り仕切り、非公開だったようです。

ちなみに、2012年に発売したミニアルバム「Spring - 5 Songs for a New Love」では、彼女を想って作成した曲「君だけだ」が収録されています。どんな想いがこもっているのか気になる方は聴いてみてください。

再婚したJ.Y. Parkさんと彼女の間には、2019年1月に長女、2020年3月に次女が生まれます。J.Y. Parkさんは2児のパパになりました。

世界的に有名なプロデューサー兼歌手であるJ.Y. Parkさんについてご紹介しました。最近は、Nizi Projectという日本人メンバーによる新たなガールズグループの育成で注目を集めていますよね。J.Y. Parkさんの名前を知っていたけれども、これまでの経歴やプライベートについて初めて知った方も多いはず。公私共に順調なJ.Y. Parkさんの活躍にますます目が離せません。今後どんなグループを誕生させるのかにも注目したいですね。

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